ちょっと遅くなりましたが、憲法記念日があったので当方の考え方を改めて書いてみたいと思います。
憲法改正が進まないのは、政治や行政、軍(自衛隊)に対して不信があるからではないでしょうか。
憲法は国民全体の決めごとだと思うのですが、よく「憲法は国家権力を縛るものである。」との考え方が示されます。実際には憲法には国民の義務も書かれており国家権力を縛るためだけのものではありません。それが叫ばれるのは、GHQの占領政策や左翼、マスコミの吹聴のせいもあるのですが、しかし、政治や行政、軍に対する強い不信から来ているのだと思います。
1つ目に、政治に対する不信です。金権政治や強権政治による悪用に対する漠然とした不安です。
2つ目に、行政に対する不信です。これも、政治に対する不安と同様のものがある他に、行政の数々の失策が不安要素に上げられると思います。
3つ目に、軍に対する不信です。日本が第二次世界大戦で膨大な犠牲を出して負けたことがまずあると思います。
と、言うわけでこれらの問題を改正憲法では取り込んで政治、行政、軍が暴走しないような建付けにすれば良いと言うことになります。と、言っても、あまり、権力を縛りすぎても機動的な対応ができなくなります。
現憲法でも3権分立が図られており、憲法で問題となるのは憲法の改正方法と軍のあり方です。
まず、憲法九十六条からです。憲法改正手続きについて定められた条文で、
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
としており、国民の承認を経ることとなっています。いかにも民主主義的な手続きとなっています。
しかし、国民の承認と言うことは国民が解釈の幅も含めて憲法を理解している必要があります。このことは、当方考えるに、憲法学者の様な専門家が間に入って理解を促進すると言う段階すら必要の無いような平易な表現で憲法が書かれなくてはならないことを示していると思います。それは、投票で過半数を得るだけの国民(有権者)が理解し同意する必要性が生じるからです。「憲法のことなんか難しくてわからない!」なんて人がほとんど発生しないことが今の九十六条には求められていると思います。
一方、現在の憲法解釈は裁判所や内閣法制局、各種法の立法権は国会議員に付託されており要するに専門家にゆだねられていると思います。憲法改正の際には国民が厳しく判定する必要があるのに運用は大きく専門家に頼っているのは何とも変な感じがします。したがって、国民の直接投票による判断の必要性は希薄であると考えています。
当方は、これらのことから国民投票を削るか、最高裁判所裁判官の国民審査の信任方法に準ずる程度(要するに反対の人だけがバツをつける)で良いと考えています。仮に国民投票を削っても間接民主制は守られます。
次に、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」の部分は厳しすぎるので五分の三以上に改正すべきではないかと思っています。
このように、九十六条が改正された場合には、衆議員の選挙を小選挙区制と地域ブロックの比例代表制から中選挙区制に戻した方が良いのかと思います。今の小選挙区制では死票が多く、また、選挙区ごとに日本全有権者がある党を過半で支持した場合全小選挙区で支持された政党の立候補者が当選すると言う原理も成り立つからです。また、それに加え比例代表制を併存させるのは制度が複雑になるからです。
次に憲法前文と憲法九条についてです。
前文の中には、
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
ウクライナ侵攻のようなことがあると、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」ができなく成ってきたと言う人もいます。確かにそのとおりです。自民党の日本国憲法改正草案の様に全てを改正しても良いように思えます。
次に九条には、
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
と、なっています。第一項で「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」さらに、第二項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」となっていますがこの武力や戦力とは何でしょう。戦車や潜水艦や戦闘機、護衛艦(軍艦)は武力や戦力では無いのでしょうか。もし無いというのであれば当方は、このことが日本語を著しく毀損しており憲法全体を軽くしてしまうと感じています。この様に軽い憲法を後生大事に守ろうとしている護憲派の人は何をしたいのかよくわかりません。
第一項は前文に精神が書かれているので削ってもよいのではと以前書きましたが、前文も修正したほうが良いとの考え方の変更もあり、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力活動は国防上必要とする最低限の範囲に留める。」と、してはどうかと思っているところです。第二項は以降は自民党の日本国憲法改正草案と同じ様な内容などとした方が良いのではないでしょうか。但し、国防軍が守る国民の生命はあまり強調しすぎないほうが良いのではないでしょうか、国防軍の軍人自体が国民の生命であるからです。国防軍の一義的意味は我々の共通理念を守ることだと思います。それは、国民自体が命を賭して守るべきものだと思います。そういう意味では自民党の日本国憲法改正草案で示されている第二項(国防軍)よりも第三項(領土等の保全等)「第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」を第二項に持ってきたほうが座りが良いように感じます。
憲法に限らず国民の生命・財産を強調するのは大東亜戦争後の反動だと思います。あまりの理念重視、人命軽視がもたらしたものだと思います。本来、国民の生命・財産よりも大切なものがあるから軍人さんを使ってでも戦うのではないでしょうか。攻められたら白旗を上げるほうがよっぽど短期的には国民の生命・財産を守ることに繋がります。そこの辺をよく考えてみてはいかがでしょうか。
最後に参政党は創憲を掲げていますが、当方の考えでは既に約80年に渡って定着してきた日本国憲法を新たに作り変えるのは難しいのではないかと思っています。憲法により法も作られています。やはり、必要部分の修正が限界ではないでしょうか。

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