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2022年4月17日 (日)

「現代語訳 学問のすすめ」を読んで

 「学問のすすめ」と言えば誰もが知っている一万円札の肖像にもなっている福沢 諭吉著作の本です。
 これを、斉藤 孝氏が現代語訳(ちくま新書)したものを当方は最近、読んだのです。既に、渋沢 栄一の時代かもしれませんが。
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 感想は、福沢のユーモアにグイグイ押されて終始楽しく読むことが出来ました。
 特に、自由と独立について何度も繰り返し、国から家庭から個人まで出てくることが印象的です。当時の福沢の維新直後の国際情勢と国内思考方法に対する危機感がそうさせたのでしょうけれど、私はこれは現代にも通じると思います。
 特に、感心させられるのがp15の

「天理人道(天が定めた自由平等の原理)」にしたがって交わり、合理性があるならばアフリカの黒人奴隷の意見もきちんと聞き、道理のためにはイギリスやアメリカの軍艦を恐れることもない。国がはずかしめられるときには、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ。

であり、具体的な例としてp40に

 むかし戦国時代に、駿河の今川義元が数万の兵を率いて織田信長を攻めたとき、信長は策によって桶狭間で奇襲をかけ、今川の本陣にせまって義元の首をとった。そのとき駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすように戦いもせずに逃げ去って、当時名高かった駿河の今川政府も一日にして、あとかたもなく滅びてしまった。
 一方、二、三年前、フランスとプロシアの戦い[普仏戦争(一八七〇)]では、はじめフランス皇帝ナポレオン三世は、プロシアの捕虜になったけれども、フランス人はこれで望みを捨てることなく、ますます発憤して防戦し、骨をさらし血を流し、数か月籠城して、和睦に持ち込んで、フランスはもとのままのフランスを保った。今川義元の例とはまったく違っていて比べようもない。
 この違いはどこから来たのか。駿河の民はただ義元ひとりにすがって、自分自信はお客さんのつもりで、駿河の国を自分の国と思う者がいなかったのに対して、フランスでは国を思う者が多く、国難を自分の身に引き受けて、人にどうこう言われるまでもなく自ら自分の国のために戦ったから、このような違いが出たのだ。

と、示され、人間の独立精神の重要性を示しています。
 次に、学問の必要性については
 p10に

 西洋のことわざにも、「天は冨貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉がある。つまり、人は生まれたときには、貴賤や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。

と、書かれている他にp19に

 もしも、国民の徳の水準が落ちて、より無学になることがあったら、政府の法律もいっそう厳重になるだろう。もし反対に、国民がみな学問を志して物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律もまた寛容になっていくだろう。法律が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって変わってくるものなのである。
 厳しい政治を好んで、よい政治を嫌うものは誰もいない。自国が豊かになり、強くなることを願わないものはいない。外国にあなろられることをよしとするものもいない。これは人の当然の感情である。

と、しています。当方は当初学問のすすめと言うのだから個人が学問を身に着けて豊かになろうという利己的な本だと思っていたのですが、それだけではなかったのでした。さて、この中で“強くなることを願わないものはいない。”とありますが大東亜戦争を経た今の人は必ずしもそうは思っていないように感じます。次に、“外国にあなろられることをよしとするものもいない。”とここにも独立心を鼓舞するものとなっています。我々、大東亜戦争後の人間も米国に媚びへつらうのではなく独立心をもって対応したほうがよいのではないかと思うところです。
 ただ、当方から見て気になったことを1つ上げておきます。それは、p119

 試しに見てみるといい。動物、魚、虫、自分で食を取らないものはいない。食料を得て一時の満足を得るだけではなく、蟻に至っては、はるかに未来のことを考え、穴を掘って住処を作り、冬の日に備えて食料を蓄えるではないか。なのに、世の中には、この蟻のレベルで満足している人もいる。

です。ここでは蟻をさげすんでしますが、世の中の生きとしいけるものは、代を重ね生息範囲を広げるよう一所懸命生きているのです。それを、さげすむのはやり過ぎだと思います。確かに蟻は個体としては小さいですし、思考が備わっているわけではありません。だからといって、生物の霊長である人間と考えるのはおごっているものと感じます。まあ、福沢が現代に生まれていたら違った考えになっていたかもしれませんが。
 他にも現代でも為になることが満載なのです。例えば、人付き合いを大切にしようだったり、スピーチのすすめであったり、そのスピーチで表情や見た目の印象が大切であること説いたりです。
 というわけで現代語訳「学問のすすめ」を薦めます。

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