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2019年6月 9日 (日)

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見て

 重い神経難病を患った日本人女性がスイスで安楽死(投薬自殺)を行った記録です。
 最後の方は実際の安楽死の映像が出てきて涙なしには見れなかったのでした。
 スイスでも安楽死をするにはいくつか条件があるのですが、当方見ていて条件がそろえば尊厳ある生き方として安楽死が日本でも認められても良いのではと思ったのでした。本人は日本でも自殺未遂をしています。このような場合安楽死をしても仕方ないのでは思うのです。見守る家族・親族・近しい人にとっては本人が延命を選ぶか、そのままの姿を選ぶか、安楽死を選ぶかいずれにせよ人間の死(生き様)が関わってくるので辛いことのように見えました。
 また、今回のケースを見ているとスイスに行くまでの体力が無くならないうちにと死に急いだ感はあるのです。日本で安楽死が認められていれば少し長く生きられたかもしれません。また、安楽死を望んでいる人も少なからずいるのであれば安楽死を輸出するのはどうなのかとも思いました。
 人間の生死感を考えると言うことでちょっと関係ないことですが癌について考えるところが当方にはあります。それは「ガンと闘う」と言う表現や考え方に違和感を持つのです。ガンは環境要因によっても発症するのですが多くは内在的なものであると思うのです。つまり、自己の細胞から発生するものなのでガンと闘うと言うことは自分との戦いになるのです。しきりに医者や保険会社は前向きにガンと闘うとか言っていますが本当に適切な言葉なのだろうかと思うのです。当方はせいぜい「ガンと向き合う」が適当ではないかと思うのです。大東亜戦争の人間の死に対する美化の反動なのか生に対する美化が行き過ぎているように当方は思います。まあ、病気が重いだけに闘うと言う強い意志で乗り切る必要性も分からなくはないのですが。

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