「経済学者たちの日米開戦」牧野 邦昭著(新潮選書)を読んで
副題に“秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く”とあります。秋丸機関とは「陸軍省戦争経済研究班」のことです。「日米開戦 陸軍の勝算」林 千勝著の批判も若干しておりますがそれは後ほど。
さて本書では、日米に高い経済格差があったにもかかわらず、なぜ日本が日米開戦へと突き進んだのかを記しています。
概要としては、戦わないと負けるが、戦うといくらかの勝算がある状況では、行動経済学のプロスペクト理論により人間は損失を被る場合にはリスク愛好的な行動をとるため、戦うことを選んでしまう傾向があるそうです。p154を引用すると
さて、こうしたプロスペクト理論を踏まえると、昭和十六年八月以降の当時の日本が置かれていた状況は先ほどの選択枠aおよびbとほとんど同じであった。日本の選ぶべき道は、政策決定者の主観的には二つあった。
A 昭和十六年八月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、二-三年後には確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈服する。
B 国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北招く(ドカ貧)、非常に低い確率ではあるが、もし独ソ戦が短期間で(少なくとも一九四二中に)ドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放されソ連の資源と労働力を利用して経済力を強化したドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、さらに日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化し、イギリスが屈服すれば、アメリカの戦争準備は間に合わずに交戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得できれば少なくとも開戦前の国力は維持できる。
B枠は何とも長くそれはつまり不確定要素を多く含んだものであることを示していますがこの選択からBを選んだことになるのです。
また、これに合わせて、日本では開戦の際に集団意思決定が行われており、社会心理学の研究で集団極化と呼ばれる現象(個人が意思決定を行うよりも結論が極端になること)が起き極めて低い確率の可能性に賭けて開戦という選択枠が選ばれることになっていたのではと言うのが著者の考えです。我々が集団意思決定を考えれば平均的な答えを導き出すと考えがちですが、むしろ実態は逆のようです。
プロスペクト理論なり集団極化なり使って説明を試みていますがこれは経済の面で見て不合理な日米開戦が選ばれたのかを著者なりに考えた答えのようです。
次に、秋丸機関の開戦への結論ですが、これについても著者は陸軍の要請で作られたものであり戦争遂行は困難であるが低い可能性ではあるけれども開戦して勝てる見込みを示したに過ぎないとしています。それは、発見された秋丸機関の出した報告書である「英米合作経済抗戦力調査」なり「独逸経済抗戦力調査」の内容や本調査に関わった人の著述や発言を見るとそう考えられるとしています。
さらに、秋丸機関の報告書は特に秘密ではなかったのではないかと説明しています。つまり、秋丸機関の報告書で使われている数字や考え方(英米の船舶輸送力が弱点であること)は一般の書物等でも示されたものであり特に秘密にする必要が無かったのではとのことです。
さて、「日米開戦 陸軍の勝算」林 千勝著についてですがp103に
最近ではそれが「陸軍は合理的な研究により勝てる戦略を立てていた、太平洋戦争は勝てる戦争だった」と言う形でかなり強引に使われている場合もある。
と、批判しています。また、第六章では英国のインド洋補給路を断つことは、太平洋でアメリカを正面として戦いが進んでいる中では難しかったことを述べています。同じく六章のp188「根本的な問題②-アメリカの造船力の桁外れの大きさ」の中でドイツと一緒になって輸送船を沈めても米国の輸送船の生産量が超えることを述べています。当方は、それでもインド洋補給路を断つことは積極的に行われても良かったのではと思います。一般的な書物でも輸送船攻撃が有効であることが示されているのなら日本海軍もその事は理解していたはずです。ドーリトル空襲などで多少、日本本土が攻撃されたぐらいで考え方を変えていたのでは戦争には勝てないはずです。
本書は、一見不合理に見える日米開戦がなぜ決定されたのかを考え方を示したところが今までの書籍と異なっているものと思います。今までの書籍では主に人物に絞って話が進められなぜ不合理な戦争に進んでいったのかが見えにくかったように思います。
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