ETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」を見て
8月15日終戦の日近辺では大東亜戦争(太平洋戦争)関連のテレビ放映が増えてきます。その中で、気になったものについて感想を書きたいと思います。
今回は第4弾として、ETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」(NHK Eテレ)です。まずは、要約を書いて、当方所蔵の本による比較・補強と感想を述べたいと思います。
大正時代末期に制定された治安維持法の地域別、期間別検挙者数を分析しています。
治安維持法は、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とした結社、主に共産党を対象としていましたが、その取り締まりが一般の市民にまで拡大したとしています。
日本が戦争への向かっていく時代に検挙者は急増し、市民がどのように巻き込まれていったのか詳しい実態が明らかになったとしています。
大正デモクラシーの中権利意識に目覚めた人の間で共産主義の思想が徐々に広がってきたため、また、普通選挙法の施行(1925(大正14)年)を間近にひかえ共産主義が勢力をのばすことを恐れていたとしています。
日本国内での検挙者数は68,332人にのぼり、検挙者は前半の10年間に集中しています。また、治安維持法の施行(1925(大正14)年)から4年目に急激に増加しています。これは、三・一五事件で共産党関係者とされた1,600人あまりが検挙された事件によるところが大きいそうです。そのとき14歳の少女まで捕まって暴力を伴った取り調べを受けたそうです。
治安維持法の運用としては、特別高等警察(特高)が国家に不満や批判を抱く人を監視し社会変革を未然に防ぐことでした。中でも共産主義者は重要な監視対象でした。事件が起こってしまったのでは特高警察の汚点になるため事件が起きる前に予防的に運動を押さえて行く方向だったそうです。
三・一五事件以来検挙者は増え続け1933(昭和8)年には14,622人まで増加するのでした。それは、東京を中心としていたものが地方にまで増えていたためでした。また、1929年から1933年まで共産党員として検挙された人は全体の3.4%ほどだったそうです。これは、1928(昭和3)年に行われた法改正によるものだそうで「目的遂行のためにする行為」通称目的遂行罪が加えられ共産党の活動を手助けしていれば罰することが出来るというものでした。
長野の教師の中には1日、取り調べを受けただけで問題ありとされて教師を追放された方もあったそうです。
目的遂行罪が導入された背景には、三・一五事件で検挙した人のうち7割以上で共産党員と特定できず釈放されたことがあったそうです。当初、国会では通過せず緊急勅令の形で施行されたものがその後国会で承認されたのでした。1933年に三・一五事件の裁判で共産党員を弁護をした弁護士が目的遂行罪で問われて有罪になりました。
特高は、目的遂行罪を至れり尽くせりのこの重要法令と評価していたそうです。
1933(昭和8)年に検挙者のピークとなったその翌年には急激に減少しています。それは、転向政策により治安維持法に違反した人のうち8割を転向させたため、検挙者が減ったというのです。検挙しても再び運動に戻ってしまうのでは意味がないので、力によって押さえつけるだけでなく生き方や考え方をコントロールするのが転向政策だそうです。
あと、治安維持法が植民地政策に活用された内容がありますがこれは割愛します。
1935(昭和10)年に共産党は事実上壊滅し治安維持法は当初の役割を終えたかに見えたのですが、翌年以降も検挙が続いていたのです。1937(昭和12)年に支那事変(日中戦争)に突入し治安維持法に新たな役割が求められたのです。司法当局は目的遂行罪の解釈運用に限界点を見いだして1941(昭和16)年に治安維持法は再び改正され目的遂行罪の適用範囲は大幅に広がりました。これにより自白に伴う尋問調書の証拠採用があり、自白を強要された人も出てくるのでした。
GHQが1945(昭和20)年10月に治安維持法の廃止を命じるまで特高の活動は続くのでした。収監されていた人はこのとき一斉に解放されるのでした。特高の多くは人権を侵害したことを問われ罷免されるのでした。検挙者は植民地も含めると101,654人に及びました。
治安維持法が制定される時には、曖昧な法案に対して与野党で疑問の声が出たそうです。
さて、当方の感想ですが、曖昧な法案を作りそれを盾にし、さらには民衆を脅かして権益を広げて行くのは官僚制のよくあるパターンであると思うのです。結局、司法当局と特高の官僚制から生まれ落ちたものと思われるのです。検挙する末端にいた特高の職員はそれに絡め取られて、手柄を立てたい一心で無辜(むこ)の人たちすらも手にかけることになったのでしょう。
次に、目的遂行罪による弁護士の有罪判決ですが、これにより、治安維持法で捕まった共産党員を弁護したことで弁護士が有罪となるなどはちょっとやり過ぎです。これでは正しい法律の執行がかないません。また、ちょっと前にNHKで見た番組では現在のシナ(中国)で人権派弁護士が活動化を弁護したことで捕まると言う似たような事例を見ました。日本が中国共産党に屈すればこのような現実が待っているもの思われるのでした。
その次に、転向政策ですが、これがはたして良かったのかと思えるの事象は、当ブログでも“「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」江崎 道朗著を読んで”で紹介した本のp248から“偽装転向者の巣窟と化した「昭和研究会」”の中で示されています。1933(昭和8)年の改訂で彼等共産主義者が、国体変革(天皇制打倒)を抛棄(ほうき)さえすれば転向した共産主義者を釈放したそうです。これで、偽装転向者や宣言しただけで考えが変わっていない者が多く出たそうです。また転向者は司法省あるいは警視庁の特高部でも熱心に就職の斡旋をし、官庁関係では嘱託名義で、調査部、研究室に、民間では調査研究団体に多数が就職したそうです。転向者の行き先の一つとして近衛総理に近いシンクタンク「昭和研究会」があったそうです。こう言ったことから当方は転向者がスパイ化することになったことに愕然とするのでした。一方で、特高が厳しい取り締まりをするだけの組織ではなかったことが分かります。
結局、治安維持法を肥大化させると言う官僚特有の性質が問題であったものと当方は思います。現在でも、無用に恐怖心をあおって権益を拡大させようとする官公庁のやり方はあるわけでそう言ったことには十分注意したいところです。逆に言えば治安維持法をことさらに恐怖の対象とすることも誰かの利益になることかと思います。
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