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« イントロンのブログが20000カウントを達成 | トップページ | 「成長なき時代のナショナリズム」萱野 稔人著(角川新書)を読んで »

2015年11月 7日 (土)

「大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」加瀬 英明著(ベスト新書)を読んで

 この本は、表題に示している有色人種解放の戦い以外にも日本がいかに対米戦争に突入したのかとか、原爆の投下が不要だったのに行ったことが示されています。

 

 まず、本書では大東亜戦争で自存自衛と有色人種解放の戦いをしたとしています。
p61では、

 一九一九年にパリにおいて、第一次世界大戦のベルサイユ講和会議が開催され、国際連盟憲章が起草された時に、日本全権団が人種平等の原則を盛り込むように提案したにもかかわらず、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの植民地諸国によって葬られたために、日本国民は深く落胆した。

とか、また、「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」という言葉は皆さんご存じでしょうか?ここでは大東亜会議のことが、p72にあり、

 大東亜会議は人類の長い歴史の果てに、アジア諸民族のリーダーが集まって人種平等の理想の世界をうたった、世界史の大きな転換点だった。

としています。
 そして、p78にインパール作戦が引き起こしたインド独立の経過やp79に著者がインド独立五十周年記念式典に参加してのインド重鎮からの日本への感謝の挨拶の下りが出てきます。また、p72には“皇紀による年号が刻まれたジャカルタの独立記念碑”としてインドネシアの独立が日本により実現したことを述べています。
 この点については本書の題名にもなっているとおり主要部分ですが必ずしも日本が有色人種の解放だけでなく権益の拡大を戦争目的にしていたことを別の本で示します。
 まず、「なぜ日本は戦争を始めたのか」益井 康一著(光人社NF文庫)のp80で大東亜会議でよばれた一国であり日本が独立させた満州帝国の話として

満州帝国は五族(日・満・漢・蒙・鮮)協和の王道楽土の建設を基本要領にしたが、内部的には関東軍と、日本官吏と、日本資本に支配されて、外国から“傀儡国家”とよばれるようになった。

として、以下に満州政府の役人は始めのうちこそ20%の以内と決められていたがその後ワクがはずされ日本人で占められていたとか。政府の総長(大臣)は満人だが次長は日本人で実権を握っていたとか。皇帝が天皇への祝辞を述べる原稿に謙譲語を入れていないと関東軍に怒られたとか。何とも五族協和と言いながらまさしく属国扱いです。この本は以前本ブログでも述べた中国共産党の謀略により日華事変(日中戦争)が始まったことを示していますから当然、左翼的な本では無いと思います。
 次に、保阪 正康氏と半藤 一利氏の対談集「昭和を点検する」(講談社現代新書)p22に保阪氏が「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」にアジアの解放の文言が入っていれば歴史は変わったとの発言をしています。半藤氏もそれに対して追認しています。他にも、p109からは、半藤氏が満州事変がリットン調査団による国際連盟の勧告を政策責任者の多くが受け入れを示したときに日本の新聞が英米は自分たちは植民地支配をしているのに、なぜ日本の満州における権益を否定できるのかと主張したとしています。他にもこの本には日本が自存自衛の戦争をしたことや権益を目指して満州事変や日華事変(日中戦争)を起こしたことが断片的に出てきます。他の本である8人による対談集「昭和陸海軍の失敗」(文春新書)p64では今村均大将がジャワ(インドネシア)での善政をしいたが、軍中央部での不評をかい一年程で首がすげ変わった話が出てきます。
 そういったことから確かにアジアの解放は大東亜戦争により触発されたのでしょうが、必ずしも大東亜共栄圏や八紘一宇を日本の多くの人が本気で考えていたとは思えないのです。

 

 次に、「大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」では対米戦争への米国フランクリン・ルーズベルト大統領の陰謀により対米戦を引き起こさせたかをp33から「第二章 仕組まれた対米戦争の罠」として書かれています。まず、なぜ日本を戦争に引きずり込みたかったかについては、p42に

昭和十五(一九四〇)年六月に、フランスが降伏して、ドイツがヨーロッパ大陸を席巻した。このときから、イギリスは孤立無援の戦いを、強いられるようになった。
 ルーズベルトはイギリスを救うために、アメリカをヨーロッパ戦争に参戦させることを、強く願った。ところが、孤立主義が厚い壁となって立ち塞がっていた。
 そのために、日本にアメリカとの戦争を強いることを急いで、ヨーロッパの戦争に裏口から入ることを、企てた。

 そのために、p41に中国からの日本本土奇襲爆撃計画をすすめたこととして、

 ルーズベルト大統領は(昭和十五年)五月十五日に陸海軍に、蒋介石政権に爆撃機を供与して、機体に晴天白日のマークを塗って、中国機として偽装した上で、アメリカの「義勇兵」に操縦させて、中国の航空基地から発進し、東京、横浜、大阪、京都、神戸を爆撃する「JB-355」計画を提出するように、公式に命じた。

としています。さらには、p42に戦後日本処理の機関を開戦前に発足させたものとして、

 ルーズベルト大統領は昭和十六(一九四一)年二月に、国務省のなかに日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか、研究する「特別研究部」を、極秘裏に発足させた。日米が開戦する九ヶ月前のことだった。

と、開戦前からルーズベルト大統領は戦争する気でいたのです。そのことは続いて、p51で、

 真珠湾攻撃の一二日前の十一月二十五日に、ルーズベルト大統領がホワイトハウスに、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長、スターク海軍作戦部長を招集して、会議が行われ、「アメリカに過大の危機を招かぬように配慮しつつ、日本のほうから攻撃せざるをえないように仕向ける(・・・英文中略・・・)」ことで、合意した。

と、しています。まずは日本に一発撃たせることで米国世論が戦争に傾くようにしたかった様で、実際そうなりました。

 

 三つ目に、原爆投下も不要だったのに行ったことがp169「第八章 アメリカと日本の原爆」に書かれています。p170から引用すると、

ルーズベルト大統領の前任者だった、フーバー大統領は『フーバー回顧録』の中で、広島への原爆投下を強く非難している。
「一九四五(昭和二十)年七月のポツダム会談前から日本政府は和平を求める意向を、繰り返し示していた。
 ポツダム会談はこのような、日本の動きを受けて、行われた」

として、以後、回顧録の引用によにより、原爆投下までに行った日本の和平への動きを具体的に述べ広島、長崎への原爆投下を残虐行為として非難しています。

 

 他にも色々な特攻隊の精神であるとか、国連の直訳が連合国であるとか、ありますがそこは本書を手に取ってみてはと思います。
 本書はおおむね妥当なところが書かれているように思いますが、現在の中国情勢厳しい中にあってこれを米国に直接主張するのが良いかは後ほど「成長なき時代のナショナリズム」萱野 稔人著(角川新書)を基に考えてみたいと思います。

 

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<当ブログ参考>
「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」 中西輝政 著 (PHP新書)を読んで


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