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2014年9月27日 (土)

「日本軍と日本兵」副題「米軍報告書は語る」一ノ瀬俊也 著(講談社現代新書)を読んで

 この本は米陸軍軍事情報部が作戦地域にいる、もしくはゆく予定の下級将校、下士官兵用に作られた戦訓広報誌「Intelligence Bulletin」(情報広報)に掲載された記事を主に著者の分析を加えて日本軍がどう戦っていたのかを示したものです。
 当方はこの本を読んで、著者の分析力が良いのか日本軍の戦いが物量的な米軍との差を埋めるべくどう戦ったのかを示す良い書物と思いました。
 うなずける部分があまりに多いので紹介も多くなってしまいました。
 例えば日本軍の戦うための理由としてはp64、

 天皇や靖国のためではなく、味方の虐待や体罰が怖いから戦っているに過ぎないという軍曹の指摘を踏まえるならば、日本軍兵士は敵アメリカと戦うための明確な大義を「自分で考え」、敵を激しく憎むことが出来なかったことになる。このことが米軍側から「三流の兵隊」呼ばわりされるに至った根本的理由だったのかもしれない。

 次に、日本軍の組織の特徴をしめしておりp64、

 ところで軍曹は「日本兵は互いに愛情を持たない。例えばあるトラック中隊は上級将校の命令がない限りよその中隊を手伝おうとしない。トラックの仕事がないとのらくらしている」とも述べて、日本兵たちの態度に奇異な印象を示していた。これは前出の法社会学者・川島武宜が日本の「非近代的=非民主的社会関係」を支配する原理のひとつに挙げた「親分子分的結合の家族的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立」すなわち「セクショナリズム」そのものである(前掲『日本社会の家族的構成』)。もっと卑近な言い方をすれば、自分の属するムラ(=中隊)の中では互いに酒を飲み助け合うが、ヨソ者には冷たいと言ったところか。日本陸軍はその末端において、天皇や「公」への忠誠よりも仲間内での「私」情により結合する組織であった。

と、していますが、前掲した「<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊」河野仁 著では米軍にも「兵営家族主義」的な考え方を持っていたことを示していますので、その度合いや質的な違いはあったのかもしれませんが、日本軍のみの特徴とは言えないのかもしれません。
 さらに、日本人が捕虜とならず死を選ぶ理由として日本兵捕虜の尋問によりp67、

 捕虜たちにとっては皮肉にも「生まれ故郷」の人々こそが最大の足かせとなっていた。逆に言うと、「生まれ故郷」以外なら元捕虜の汚名をお背負っても何とか生きていけるだろうという打算を働かせる者もいたのである。皆が皆、『戦陣訓』的な「恥」イデオロギーを内面化させ、その影響下で日々の生活を送っていたのではない。

と、しています。
 そして、日本軍が戦争全般を通じて白兵銃剣主義をとっていたのかというとp133、

 IB一九四三年六月号「日本軍についての解説――その文書から」によると、このころ戦場で捕獲した日本軍の文書には「我が軍(日本軍)はしばしば米軍陣地正面で有効な砲撃を受けている。砲撃で隊列を破砕され、結局突撃を断念する事例がある」ことから「砲兵――砲兵の支援は敵(米軍)攻撃の成功に不可欠である」「火力支援――組織的な火力支援を欠き、陣地攻略に失敗する事例が多発している。夜襲でさえも、徹底した火力支援を必要とするので、我が方は火力支援隊を用いるべきである」と、対米攻撃戦法を火力重視の方向へと修正する旨の文言があったという。
 この「火力支援隊」とは「大隊砲、連隊砲、速射砲、迫撃砲、機関銃、言い換えれば歩兵重火器から」なっていた。日本軍は「これらの適切な使用を無視し、策略と『刀剣』に依存する傾向があった」という従来の姿勢を改めざるを得なくなったのであり、最後まで「刀剣」に固執し続けたという戦後のイメージと戦争中の実像とはいささか異なる。

と、しており、イメージとしてある銃剣突撃を闇雲に繰り返し死屍累々という戦い方とは異なっていることを示しています。
 さて、次に日本軍の太平洋戦争前期の戦い方としてp160、

 以上、本章では一九四四年夏までの太平洋戦線における日本軍戦法と、これに対する米軍の「評価」について述べてきた。まとめるならば①夜間・包囲攻撃偏重を見抜かれ逆手にとられた、②肉弾戦に弱く、集団志向だった、③兵個人の退路を断たせたがゆえに抵抗は強靱だった、④「穴掘り屋」と化して機関銃を至近距離から浴びせ、執拗に抵抗した、といったところになるだろう。

と、②は意外な印象ですが、体格差を考えれば当然でしょうか。④は火力の差を埋めるため行われたようです。最終的には硫黄島での敢闘に結びつくものです。戦国時代でも攻城戦は10倍以上の戦力差が必要とされていたのですが、近代戦でも硫黄島での空海兵力を勘案すればそのことは言えるように思えます。
 ちょっと話がそれますが、尖閣諸島問題でも味方がいない間に敵の上陸を許しその後に対処するのではなく出来れば(社会的事情や経済的事情があるとは思いますが)要塞化を進めるべきだと考えているのです。全ての島を要塞化することは出来ないかもしれませんので上陸後の対処策も必要になってくるでしょうし、海上封鎖が完璧に出来れば兵糧攻めもあり得るのかもしれませんが。
 さてこの本ではその他にも読みどころが満載です。味方と敵の区別をつけるために中国人と日本人の身体的な違いを示そうとしたり(結局大きな区別はつかないようである)p25、日本軍も米軍も将校が狙われやすいとかp37、食堂は不潔だとかp47、日本軍から捕獲した糧食を食べられるとかp49、日本兵は娯楽として米映画を見て熱狂していたとかp62、爆撃はほとんど被害がないのに非常に恐ろしがられたとかp70、捕虜になる日本軍兵士も少なからずいたが投降の際に米兵が撃ったとかp76、死んだ兵士には丁重だが生きて苦しんでいる傷病兵への待遇は劣悪であったとかp94、金がないから医療が削られていたとかp100、日米の火力装備の差が沖縄戦では1対20程度であったとかp119(火力装備なので空海兵力を含んでいないようですが)、などなどあります。
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