「<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊」副題「日米兵士が見た太平洋戦争」河野仁 著(講談社選書メチエ)を読んで
この本は、インタビューや資料により日米の兵隊がどのように徴収や志願により集められ、訓練され、砲火の洗礼を受け、どう戦っていたかを語ることにより、日米の文化的違いと戦いの中でどう影響していったかを記した本です。
私が気になった部分をかいつまんで引用し、他の本のからの引用を含め日本組織の弱点とその対処について考えたいと思います。
p11にはフランス革命後の徴兵制により平等が確立したことを示しています。
一方、兵士個人の視点から見ると、「徴兵制」は封建制の時代の不平等を改善し、「国民」としての平等な権利の獲得につながるものとして認識された。
としています。
一方日本では、p22
西洋列強の軍事的脅威に対峙するための海防強化と洋式砲術の伝習は、単に軍事技術面の変化だけでなく、封建的軍隊組織の根本的な改変をともない、さらには西洋文明や文化の吸収へとつながっていった。・・・中略・・・それらの新たな思想の中には幕藩体制を支えてきた封建思想とは相容れないものが含まれており、結果的に、封建武士による軍事的合理性の追求が「意図せざる帰結」として封建制の否定につながっていった。
としており、この後、その具体例が示されています。
さて、米国の志願兵の事例を示した後で、p92
それまで世界大戦への参戦に消極的な意見だった米国民も真珠湾攻撃で一挙に参戦に傾き、「真珠湾攻撃によってそれまでバラバラだったアメリカ国民がひとつにまとまった」という見解を筆者は少なからず耳にした。
としており、宣戦布告が遅れてしまった日本外務省の失態がずいぶん大きいものであったことを示しています。また、米国世論を誘導した米国政府のしたたかさには驚きを隠せません。
あと、p107に
「兵営家族主義」は、日本陸軍に特徴的な思想である一般的に考えられている。・・・中略・・・こうしたフォーマルな思想を受けて、兵営生活の構造も、中隊長を父親、内務班長を母親、下士官や古年兵を兄弟に見立てて兵営生活をとらえる者も少なくなかった。実は、米軍兵士の中にも、こうした「兵営家族主義」的な考え方を持つものが少なくないのである。・・・中略・・・おもしろいのは、フォーマルな組織構造では、中隊長がもっとも権威を持つ立場にあるわけだが、実際の兵営生活においては先任曹長が「父親」であり「神」であり、「中隊でもっとも権力を握っている男」なのだという点である。米軍の兵士にとって、将校は、かれらの日常生活の世界からはるか遠くに離れた存在であった。・・・中略・・・戦闘意欲に関する「第一次集団説」の観点からは、この兵士相互の「家族感情」の発達は、非常に重要な事実である。
と米国でも軍隊の下部組織で家族主義的な感情を持っているのは驚きです。
次に、日本軍と米軍の装備の差については、p126
満州事変当時の日本陸軍と列強陸軍の野戦師団の装備を比較した陸軍省調査班作成の一覧によると米軍の師団は日本と比べて約三倍の小銃・軽機関銃、四倍の重機関銃(高射砲を含むと八倍)、四倍の平射歩兵砲、二倍の曲射歩兵砲を持っていた。他の列強諸国軍の装備と比べても火器の多さ、とくに機関銃と小銃(自動小銃を含む)の数の多さは群を抜いている。
としており、通常の状態でも日本が不利であったことを示していますし、日本の作成したものですから、当然その認識はあったはずです。
次に、p128にある
日露戦争以降第二次世界大戦までの日本軍の戦術思考は「攻撃精神」を強調し、歩兵による白兵戦を重視する「白兵主義」を基調としていた。日露戦争における日本軍の「士気と規律」は各国観戦武官のつとめて賞賛するところだった。・・・中略・・・
日露戦争の戦訓を取り入れて、一九〇九(明治四二年)年に『歩兵操典』が改訂された。新しい操典は、それまで重視されていた攻撃における「圧倒的火力」の役割を副次的なものとし、敵防御陣地の火力が強力でも「正面攻撃」は可能であり、とくに「夜襲」による「見えざる攻撃」は有効な戦術であることを強調した。・・・中略・・・もっとも「攻撃精神」が強調され白兵戦が重視されたのは、実践において日本兵が火力に頼りすぎて「攻撃精神の不足」が露呈したからであった。のちに、この白兵主義強調の真の理由は忘れ去られることになるのだが、ともかくここにおいて「夜襲による白兵(銃剣)突撃」によって戦勝を確保するという日本陸軍に支配的な作戦教義が確立された。ただ、問題はこの日露戦争時の戦術思想が、第二次世界大戦まで「一歩も進歩していなかった」ことである。
としています。先にも著者が述べていますが第二次世界大戦時に日本軍は火器の装備が必ずしも十分ではなかったことがこのことを助長しているのです。また、必ずしも第二次世界大戦全般で白兵(銃剣)主義がとられていたわけではないことを別の本でそのうち紹介したいと思います。
さて次に統率については、日本軍の場合色々事例を示した後p168に
この「任務遂行」と「部下の生命保護」および「部下の面倒を見る/世話をする」というのは、実は、日米の下級指揮官に共通するリーダーシップの原則である。これに「率先垂範」をくわえると、日米共通の統率四原則となる。
としているほか、p227に
米軍においても、「統率の原則」は日本軍の場合とほぼおなじである。この原則をまとめるとすれば、つぎのようになる。
一、部下の保護
二、率先垂範
三、部下の世話
四、意思の疎通と情報の共有
としています。これらは、日米の指揮官が戦闘の中で体得したもので軍に教えられたものではないと言うことです。驚くのは人命を軽視していた日本軍の場合でも「部下の生命保護」が指揮官の統率の原則に上がることです。結局、幾ら人命軽視の日本軍でも兵士は生命の保全といった本能的なものに逆らえないといったところがあるのでしょう。
その矛盾点についての記載とともに組織のありかたについてp260「平等な軍隊と自由な軍隊」として
軍隊とは実に複雑な組織である。一見して矛盾するような要素が混在している。部下に「盲目的な服従」を強い、「人命軽視の思想」を持った軍隊にも「民主的な要素」があった。徴兵制を長く続け、どんな出身背景を持つ者であってもいったん入隊すれば「二等兵」となる軍隊組織では、その「平等」性が強調された。・・・中略・・・軍隊組織内で発揮される能力が認められれば、能力主義的な選抜によって「出世」し、社会的上昇を遂げることも可能であった。そこに官僚制化の進んだ日本軍の組織ならではの、「平等な軍隊」としての特徴がある。・・・中略・・・
「日本軍は環境に適応し過ぎて失敗した」といわれるように、日本軍は、一面において非常に組織としての合理化がすすみ米軍組織よりもはるかに「官僚制化」のすすんだ組織だった。・・・中略・・・これを逆に見れば、軍隊組織の「不合理」な側面には、なにがしかの「合理的」理由が潜んでいることにもなる。「道徳的逆転」現象も、戦争状態において平時には「殺人」と呼ばれる行為を組織的に効率よく行うという軍隊組織の目的達成のためには必要な要件である。・・・中略・・・「非人間的な軍隊」こそ「精強な軍隊」なのである。この論理を究極的に推し進めたのが日本軍だったといえる。
と示しています。何だか日本人の奇妙な真面目さが、あるところでは精強であったにせよ、あるところ(人間の饑餓の様な予想外の緩慢な生死に直面したときなど)では弱点になった様に私は感じます。以前当Webページ「イントロンの暴走>Ⅳ興味のあること>11.日本を考えるための本の紹介」で示した。「日本はなぜやぶれるのか」山本七平 著でフィリピンに放置された軍隊の組織崩壊が西南の役での西郷軍の崩壊に類比していることを示していることを紹介しました。さらに、おなじWebページで示した「日本人の身体観」養老孟司 著で示している「官僚制化」はそのp158で
江戸において、日本の官僚制度が確立したことに、おそらく異論はないと思う。その萌芽は、すでに戦国大名に認められる。その詳細については、歴史家にまかせるほかあるまい。ここで問題なのは、そうした制度が、戦国における社会的な単位としての、「身体を持った個人」に取って替わったということである。
官僚制度の成立については、さまざまな見解がありうる。しかし、単純にいえば、この国ではそれは、ポストが成立して、個人がそのポストを埋めるかたちをとったときであろう。常識的に言っても、戦国大名には、個人という面が強い。ゆえに、武田信玄は父親を追い出し、息子を殺す。信玄と言えば、その風貌を思い起こす人も少なくないはずだが、江戸の将軍家には、そうした風貌は欠けている。そのかわり、何代という番号がある。将軍なり老中なりという肩書きと、番号があれば成立するもの、それを私は広義の官僚制と考える。
その意味での官僚制は、典型的なシンボル体系の一つである。そうした体系は、それを成り立たせる約束事を除いてしまうと、なんのことやら、わからなくなることが多い。・・・中略・・・
制度というものもまた、ある種の人工「空間」と理解される。その空間では、人はその空間を「埋めるもの」として意識されるのであって、人自身が存在するわけではない。それは、すでに指摘したとおりである。優れた学者がいれば、それなりの「ポストを創る」欧米系の大学と違って、日本の大学では、かならず「空きポストを埋める」。したがって、官僚化すなわち人工化=脳化は、大学では日本のほうが強い。
としており「官僚制化」による極限までの合理化をしてしまうという奇妙な真面目さ=シンボル化=人工化?を招きそれが日本をアメリカとの戦争に進め、ガダルカナルの戦いにも現れた愚かにも見える作戦を起こしたのではないかと感じるのです。
一方、米軍はどうだったのでしょう。p261
一方、「非人間的な軍隊」になることをある意味で拒否したのが米軍だった。とくに、海兵隊ではなく、もともと一般市民の集まりであった州兵部隊に、その傾向は顕著である。州兵部隊の起源である「民兵組織」は米軍組織の原型である。市民が「緊急避難」的な措置として一時的に軍隊を組織し、自己の「自由」を守るために「正当防衛」行為として戦争を行う。指揮官は市民の中から民主的に選出された。「志願社会」アメリカにおける動員の原則は、個人の自由意思による戦闘行為への参加である。個人の自由を守るために「武器をとって戦う権利」は憲法で保障されている。個人の自由を守る集合的な努力の延長線上に「自由な軍隊」の論理がある。
・・・中略・・・民兵組織の理念型は官僚制的組織とはほど遠い存在だった。
その一方で、「軍隊組織」としての有効性を高めるためには一定の機能的要件を満たす必要もある。「戦闘部隊」としての性格の強い海兵隊では、多分に日本軍組織と同じ文化的特徴が見られる。上官の命令には「絶対服従」が原則であるし、軍紀も陸軍の州兵部隊よりはずっと厳しいものだった。
としており、官僚制化があまり進んでいなく個人の自由を守ると言う内面的な動機を得やすいことを示しています。
そして、日米の軍隊を分けた理由として、p262に
一般社会の道徳とは背反する道徳が要請されるのは、どこの国の軍隊でも同じである。問題は、一般社会の道徳と軍隊社会の道徳との矛盾がどの程度まで許容されるのか、いかにしてそうした矛盾が解決されるのかである。これはそれぞれの軍隊組織の置かれた社会文化的文脈に依存する。この問題は、「軍事的合理性」と「ヒューマニズム」の相克ととらえることもできよう。前者を優先すれば官僚制的軍隊の道を歩むことになるし、後者を優先すれば民兵的軍隊の名残を強くとどめることになる。「平等」と「自由」がときに両立しがたい価値原則であるように、この両者を同時に追求することは困難な課題である。戦争という人間性否定の極限状態において、「ヒューマニズム」をどこまで許容するのかという点が「玉砕の軍隊」と「生還の軍隊」を分けた。
としています。
私としては、官僚化した日本の軍隊は「死にたくない」と言う人間の本性を否定することで精強な軍隊の成立を目指したが、それは行き過ぎたシンボル化であり、それが、ガダルカナル戦やパプアニューギニア戦、インパール作戦といった陰惨な事象につながったと思うのです。さらには、戦争を途中で止めることが出来なくなったのも軍隊が持つ攻撃的な思考がシンボル化したことに要因があるものと思えます。それでは、なぜに米国の軍隊がそこまで官僚化しないのかと言うところですが、やはり牧畜文化と稲作農耕文化の違い、つまり死に近い文化と遠い文化が官僚化の極限について深く関わっているのではないか(養老孟司氏がどこかで触れていました失念して済みません。)と思ってしまうのです。
そうは言え、近年にある米国のベトナムでの失敗やイラク戦争での収拾の不手際などは米国の官僚化が進んでいる事例ではないかと思います。私は「イントロンの暴走>Ⅶさいきん思ったこと(日記?)>■イラクの戦争のゆくえ 2003年04月01日」により当初からイラク戦争では無数の軍閥が出来ることで米国が統治でうまくゆかないことを予見しておりました。そのとき、米国では日本を下敷きに民主化すると呆けたことを言っていました。また、私は、「イントロンの暴走>Ⅳ興味のあること>11.日本を考えるための本の紹介>定訳 菊と刀」で、米国が日本化されていることも示しています。
それでは、軍隊(日本組織)の行き過ぎた官僚化を引き止めるにはどのようにしたら良いのでしょうか。食の問題から生死を見つめるために自分の食べる鳥をさばく学習もあるようですが、そう言ったものが重要なのでしょうか。最低でも動物を直接扱う体験は重要な気がしています。また、官僚化がどうして起こるのかを見つめ直す学習や脳化社会の認識を深める学習も必要な気がします。そういったことで、日本組織の強化は可能なのでしょうか?養老孟司氏は「死の壁」のp9で“
たとえば「あなたは“身体を使え”とかいているが、具体的には何をすればいいんですか」と言う質問です。本来ならば、それは自分で考えてください、ということなのです。正解は人によってそれぞれ違うのですし、それを全部言葉で言えるのならば身体を使う必要はないのですから。
しかし、それでも繰り返し聞かれる。面倒くさいので、とりあえず「参勤交代を国で推奨すべし」と提案してみました。都会の人が一年のうち一定期間、必ず田舎で暮らすことを法律で義務づけよ、という提案です。
・・・中略・・・そうすれば少なくとも身体を使うだろうし、自然に触れ合う。きっと何かが変わるでしょう。
と私の提案と遠からじのことが書いてあります。養老氏の影響を強く受けているので当たり前の結論になるのかもしれませんが、皆様どんなものでしょう。
さて、今回の「<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊」では、その他にも、火縄銃の論理的殺傷力を1とした各種兵器殺傷力p10、「インフォーマルな組織」と「フォーマルな組織」の差や、米陸軍(海兵隊は別)では兵卒が上官の言うことを聞かず取っ組み合いのケンカでけりをつけたp104、天皇制イデオロギーが戦闘への動機付けとなっていないことp134、米軍兵と中国兵への蔑視の差p140、ガダルカナルに行った日本兵からのインタビューで“なんぼ、親子以上の戦友であっても、倒れたら倒れたきり”p142と極限状態での実態が示され、日本兵の日記を米軍が情報源にしていたことp179、日本軍の無降伏主義(玉砕)が戦死者と捕虜との比率でみると戦争がすすむにつれて下がっていったことp184、米軍が日本の兵器のマネをしたことp200、などなど面白い記載が満載ですので是非手に取ってみてはと思います。
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