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« 「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」竹田恒泰 著を読んで | トップページ | アメリカの信用不安が世界に波及 »

2011年8月 6日 (土)

「本質を見抜く力」養老孟司 竹村公太郎 共著を読んで

 この本はまえがきである6頁5行目の

この本は「物という現実」から日本を見ようとする

試みだそうです。大半は理解できる内容ですが、一部に理解できないところがあります。
 第一章人類史は、エネルギー争奪史の冒頭は石油のことで占められておりますが、これは、当然のことでしょう。14頁12行(養老)

アメリカの言う自由経済は、原油価格が上がらないという前提あっての概念なんですよ。

としており、それに対しては限度が見えてきたとしております。掘ればなくなるものですから当然のことですがデータを示しながら語られるので納得させられてしまいます。
 しかし、エタノールに触れて17頁2行目(竹村)

自動車の燃料が人類の食料問題に食い込んでくるとは思ってもいませんでした。

としていますが、アルコール燃料を早くから使っていたブラジルやオイルショックで代替燃料を探したことを見れば想像できそうな気がします。
 そして、大東亜戦争が起こった理由の大きな課題である石油について23頁6行目(竹村)

自分たちの存在のベースになっているモノ、存在を支えているモノは何なのだろうという科学的・客観的な判断能力がなかったのですね。日本人はいまでも同じことをしているような気がします。

と石油から一般的な日本人の必要物資に対する無能力性を指摘しています。
 さらに、長い引用ですが32頁12行目(竹村)

人間の文明はエネルギーを消耗していきます。江戸時代のエネルギーは森林でしたから、人間が伐り尽くしてしまったのです。一八五三年に黒船が日本に来たときには日本中の山が荒廃していたのですから、ペリーの黒船との邂逅は、日本文明にとって蒸気機関と化石エネルギーとの邂逅でした。エネルギー資源が崩壊寸前の江戸文明にとって黒船来航は救いだったという見方ができます。江戸時代の末期は、人口が三千万人で横ばいになって子供を間引きしていましたが、なぜそうしたかというと、森林資源の枯渇によってそれ以上の人間を生かしておくエネルギー容量がなくなったからでしょう。

としており、江戸時代と言えども製塩・製鉄等により薪や炭として多量に森林が消費されていた事実については知っていたこととはいえ、子供の間引きをしてまでして維持されていたとは衝撃の事実です。安穏とエネルギーを多量消費する私に自戒の念を持ちつつもなかなか行動に移せない私でした。
 次に、第三章少子化万歳!ですが、78頁(養老)

問題は文明国では人口を減らすと、同時に人間が劣化するという点です。 人口を減らすと、当然働き手の人口が減ります。つまり「使い道のある人」が減っていくわけです。すると必然的に社会が劣化します。そう考えると、どうしても移民政策が大切になる。

と、移民が必要との考え方を示していますが、どうも私には説明不足で理解できないのです。移民が増えればその人たちも日本人と同じ権利を主張するようになり、結局、日本人の人口を減らないようにするのも移民を増やすのもかかるコストには違いがない、いや、むしろ、異質な言葉や文化、習慣を持った人が入ってくればそれに対応するためコストがかかってしまうのではないかと思うのです。
 一方で、87頁4行目(竹村)

日本の幕末では、フランスが幕府を支援し、イギリスは薩長を支援しました。英仏がその気になれば、デバイド・アンド・ルール(分割統治)が始まっていたと思います。ところが、その前に徳川幕府が大政奉還をして権力が一つにまとまってしまった。 ・・・中略・・・このように権力が一つにまとまることができたのは、江戸時代に日本人のアイデンティティが形成されていたからです。

と、しており日本人としての言語や文化の統一性を重んじる発言があり移民問題と齟齬を起こしているような印象を受けます。まあ、これは、未来と過去の取り扱いによるものか発言者の違いによるものかも知れませんが。いずれにせよ、私は国家、国境、国としての統一性は今後も重要であると思っています。
 私はこの本や最近の主張で最も意を異にするのは食料自給率を生産額ベースにするのかカロリーベースにするのかの問題です。私は当然、カロリーベース派です。この本では、141頁4行目(竹村)

食料自給率四〇%というのはトリックの数字です。極端な表現を使えば八百長です。一九八七年までは農林水産省は自給率を生産額ベースで発表していたのです生産額ベースで出すと当時は八〇%でした。・・・中略・・・ 国民が自分の国の食料自給率を四〇%と聞いたら、腰から脚の力が抜けていきます。ところが、生産額ベースで計算すると、七〇%あるのです。

等々色々書かれています。しかし、生産額ベースの食料自給率では今後の世界での食料の需要の増大による食料の価格高騰を織り込む時点ですでに対応が遅れることにもなりかねません。また、食料(特に米)は自国生産・自国消費が主で市場に出回る量が少ないとされています。つまり、食料価格は乱高下しやすく指標として心もとない他、日本で食料が逼迫した場合、供給が追いつかない場合もありうるのです。確かに、短期的(気象条件等による)対応や長期的(世界人口の増加)対応に対しては色々手段もあるのでしょうが、中期的(国際紛争等)対応が起きたときどう対処するのでしょう。食料生産には種子等が必要ですがどうやって調達するのでしょう。もし、日本で飼料米を生産していれば食用に振り向ければ美味しくない米であっても人を飢え死にさせずにすむかもしれません。先の尖閣諸島問題ではレアアースですら問題となったのです。食料はそれに比べればはるかに大きな問題です。また、生産額ベースでは今まで述べたとおり人の生存に大きくかかわるモノであるにも関わらず、抽象化され工業製品と同じ土俵に立ってしまうことになるのです。これは、本書の「モノという現実」から日本を見ようという趣旨から外れているように思えます。確かに農業生産には肥料を始め石油などの海外から輸入しなくてはならない生産資材がありモノとしてそれらの問題をほって置くわけにはいかないのですが。
 この本には他にも気になる部分が色々ありますがエネルギー問題に関する部分が最も納得のゆくところでした。第六章日本の農業、本当の問題の部分では農業が他産業に比べて所得が少ないことが課題なのかと思ったら、資産としての農地の問題が大きいと知るとちょっと私の的外れさ加減にがっかりしてしまいました。
 皆様もこの本を読んで「環境・食料・エネルギー」のことに思いをはせてみてください。

 

 本を読んでの感想は「イントロンの暴走」にも書いてあるので見てくださいね。

 

20110806204333

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